楠城
別名 楠山城 | 付近住所 三重県四日市市楠町本郷 | 現在 鵜森神社 |
2010/1/11 | 碑・案内板アリ | 日本城郭大系 |
楠氏 貞信 貞益 貞則 正威 正充 正忠 正具 正盛 |
楠城跡とその由来 楠城は、もと楠山城と称し伊勢国司北畠顕泰が正平24年(1369)に築城、命じて諏訪十郎正信に拠らしめた。ここは、中島四郷のうち本郷風呂屋往時、名草の浦とも呼び 浦つたふ朝も名草の浜千鳥 夕汐みちて空になくなり(千載集) とあり「東は海に他の三方は高岡川、内部川 南部川の三川に囲まれ、中島の称の如く平地に城を築くに、最適の要害の地」(南山遺響)であった。 諏訪氏三代の後、楠氏一族が城を継ぐが天正12年(1584)秀吉の覇力に抗して落城した。城主八代二百十余年の間には、多くの忠誠勇武の士が壮烈に戦ったと伝えられる。哀史を伝えて「松樹一株を存したりしが明治40年伐採して、樟一本を植え付けたり」と記録されている。ここに郷党とともに往時を偲ぶ次第である。 |